「モッズスーツとはなにか?」vol.2


前回の話しはブルードレスが発行していたフリーペーパー sir FACE vol.1『四角い箱』で話題にした内容に至ってしまうので、
この話はここまでにして…



フリーペーパーsir FACE vol.1の表紙




やはり、スーツから考えよう。


スーツの作り方が色々あることは知られているだろうか?

最近はスーツをオーダーするのに熱心な風潮がある。

オーダーするテーラーや百貨店選びには気を使うが、スーツを縫っているのはどんな人かはよく分からない。

スーツの設計図にあたるパターンはどの様につくられているか、ということを気にしたことはあるだろうか?

「プロじゃないんだしそこまでは…。」
という人は多そうだ。



「そういうの、聞いたことあります。」

聞いたことがあるとただそれだけで安心してしまう。
でも見たことは?


「思った通りでした。」

で、よく考えてみた?


人気が上がり調子の時の話題はこんな感じの内容から始まる。


「うちはイギリスのファッションにこだわっています。昔ながらの職人さんが作ってます。」


それっぽい、いい感じの語りなんだけど…


「イギリスとイタリアのスーツのスタイルは何が違うんですか?」


テーラーの担当者はニコリとして、

「形が全然違いますよ。」


ハキハキと、自信を持った受け答えだ。

次には、生地の産地や番手を教えてくれて、ウィットも織りまぜ、実によく喋る。


「イギリスとイタリアのスーツでは形が違うんですね。すると作り方も違うんですか?」


「全然違うと思いますよ。」

思いますよ…、と担当者は優雅な着こなしと好感度の高い笑顔で採寸を済ます。

「やっぱり縫製にこだわりがあるんですか?」

「勿論です。こちらが気づかないところまで、 黙って最善の方法を考えて仕上げてしまう職人さんです。」


行き届いたサービスということか。


「このスーツの形は…?」


「○○年代の○○スタイルですね!」

待ってましたとばかりに蘊蓄は楽しい。


しかし、

「そうではなくて、どうしたらジャケットのアームホールはこの形に成型されるのですか?」


「さぁ?」


そんな事に興味がありますか、といった具合だ。

イギリス式とイタリア式と形が違うなら、スーツに対する考え方が違い、作り方に反映されて、形が違ってくる。

1、形にはこだわるというが構造は不明。

2、縫製にはこだわるがパターンの製作に関しては不明。

3、こだわりのスーツとは誰の、どんなこだわりのスーツかは不明。



不明点が幾つかあるこだわりのスーツはさておき、実際にはもっと根本的にこう問わないといけない。


【 問 】
〔メンズ・スーツはなぜテーラード・ジャケットとスラックスの上下同じ生地の組合せなのか?〕


おもに社会に出てから着る機会が多いスーツ。
「そう決まりがあるからスーツとはそういうものだ」 以上ではないのかも知れない。

しかし、モッズには重要なテーマだ。
モッズのスーツは社会に出て着るより、普段に着る機会が多いのだから。

モッズ・ファッションから考えたいのはスーツに夢中になった彼らの着こなしは、
ジャケットの使い方とスラックスの使い方が実に巧妙だということ。

スーツ・ジャケットのボトムをデニム・パンツや色違いの替えスラックスへとコーディネートを変えて楽しんだり、
インにポロシャツやカーディガンを合わせたりする。

スーツのスラックスのトップにはブルゾンやVネック・セーターやポロシャツを着たりするし、
革製のジャケットやブレザーなどを羽織る機会もある。

モッズはスーツを着るというスタイルが基本で、それが見せ場となる時の最高のお洒落姿である
(映画『さらば青春の光』のブライトンへの旅の為に主人公ジミーはスーツを仕立てる)。
にもかかわらず、モッズ・ファッションのスーツは日常的には上下をバラして着こなすというのがメインの仕事となる。


1990年代の東京モッズ・シーンの中で、自分(僕)が特に尊敬しているモッドはいつも次のように語ってくれた。


「最高のモッズのお洒落はカジュアル・ファッションだ」


ここには、スーツはオーダーすれば誰もがあるレベルまでは到達出来るという多少の誤解 ?
( または視るべき観客には差異が分からないから、という意味 )があったかも知れない。
しかしこの見解はその尊敬するモッドだけのものではない。


現代のファッション・ポートレートを見せるメディアを見たら分かる様に、一般的にはスーツの着こなし自慢のお洒落は少なく、
誰もが流行のモードを採り入れた様々なコーディネートで個性を光らせている。

そこには何を選ぶか、如何に合わせるか、という個人のコーディネートのセンスこそが美意識の高さ、
センスだという、“コンポジション”思考がある。
言葉だけならば、ファッション・ピープルのお洒落な人達とモッズに見解の違いはない。

ところが、そんな話だとモッズは立ち止まってしまう。

余りにモッズが考えるファッション感が、服装が60年代的である以外はお洒落さんたち全般と何も変わりがないからだ。

だからこそ、モッズ・ファッションをモッズのファッションとして考えてみる必要がある。

カジュアルこそセンスの見せどころ、というならば、スーツやシャツをオーダーして『作る』より『選ぶ』ことの方がより重要ではないか?

すると、次のような答えが用意される。


「スーツは、頭の中の観念から(作った)。実際に作ったスーツは自分が観念で(選びだした)スーツだ」と。


ならば次の問いを投げるだけだ。

カジュアルこそがセンスなら、スーツとシャツを造る時はカジュアルに仕立てなくてはならないだろう。

どんなものになるのだろうか?

小さな商店街のジーンズ屋で売っている、値段もリーズナブルでカジュアルな雰囲気のシャツを、
ドレスシャツ専門の高額な値段を取るオーダーシャツ屋で作ることは…、まず出来ない。

これは、大変な事だと分かりますか?

カジュアルをオーダーでは作れないという事実。
作れるのはかしこまったシャツだけ。

ゆえにオーダーしたスーツにオーダーしたシャツの組合せはいつもカッチリした印象のコーディネートになる。

この姿が嫌だったのが60年代以降のお洒落な人達。

映画『さらば青春の光』の中でジミーは床屋で最後のセットに、スプレーやワックスを髪につけるなと言う、
なにもつけない自然なさらさらヘアーがカッコいいという美意識がある。


この同じ美意識を、服にも応用する。

さらさらヘアーに相応しいシャツとはオーダー屋の芯が堅く、ガチガチに糊の利いたシャツと言えるだろうか?


それとも街のジーンズ・ショップに並ぶ、洗いざらしで、しわくちゃで、衿がよれてるシャツだろうか?




次回につづく。