「モッズスーツとはなにか?」vol.4
← モッズ・スーツ・レボリューション →
ここから1960年代のオリジナル・モッズに属して語られる大部分とそれ以降の時代の共感者、ネオモッズや日本を含む全世界のモッズとその共感者も、当然ながら一般的な服の着こなしとしても、ジャケットとスラックスをバラバラに着るスタイルがスタンダードな着方として浸透する。
これはビジネスでのスーツの使い方ではないと分かって貰った上での話。
コーディネートの違いは毎日の生活の中で、同じルックスを共有する者同士が仲間意識を持つのにも十分だ、同じ環境の中で違いを共有するという価値観が生まれる。
本当は同じ情報を持つから違う着方をすべきという共通概念の枠が生じているだけで、情報が換われば互いの価値は同じではない。
以上の差異に重点を置いたファッションから、決まりを破る気楽さという意味やドレスを崩すという意味にとらえるカジュアルが生まれ、カジュアルこそが最高のモッズ・ルックというモノの見方も生まれたかもしれない。
(一般的にもお洒落はコーディネート次第とドレスもカジュアルも差異を大事にする)
これは個人が経験によって考えると答えが自然に出てくる思考の流れで、他のどんな事にでも当てはまる感覚だ。
これではファッションのスタイルもバランスもない。
差異のファッションからはモッズ・ファッションは生まれない。
自分の経験だけに頼るとファッション・スタイルには決まりは無くなり、出鱈目になる。
「俺はモッズだから何を着てもモッズになる」
「かっこよければすべてモッズだ」
《 ※ 現在、モッズ系 洋品店を自負するショップはどこかで見たことがあるモッズ風の服しかない。それ以外は見たことが無い服だからモッズ風に見えない。だから店側は仕入れられないし、作らない、売れないからだ。お客は当然ながら買えない。
そして、モッズ系洋品店が扱う服はモッズ風の色違い服だけだとアイテムが足りないので、60年代のイギリスにこだわったロックバンド、映画は国にこだわらない人気作品、雑誌やビデオなどは60年代ならなんでも、と、この中から見たことがある似たアイテムを揃える。ネオ・モッズに関連するパンクに見えないギリギリのアイテムまでがネオ・モッズ風として取り扱い品になる。
時には60年代ではない、70年代や80年代ながらどこか60年代を感じさせる品や日本独自の昭和時代の田舎臭さえもモッズ風に取り込まれる。
勘違いながら、雰囲気はヒッピーの又従兄弟みたいな辺りをカスル。
なぜこうなるか?
差異に重点を置くとこうなる。 》
この様になる態度は自然な思考ゆえだ。
まずは、映画『さらば青春の光』を見直し、モッズ・スーツから考えてみる。
主人公、ジミーはブライトン行きの為にわざわざスーツを仕立てる。
差異のカジュアルが大事ならば、ジミーは恋心を抱くガールフレンドのステフにブライトンにはスーツを仕立てて行くとは、わざわざ言わない。
モッズにとってのスーツの意味とは、他者との違いを出すことではない。
またコーディネート優先の、モノとモノとの個別の関係性を、コンポジションの違いを楽しむ事でもない。
モッズ・ファッションは差異ではない。
ゆえにモッズは自己のファッション経験に頼らない。
ドレスにせよ、
カジュアルにせよ、
何かを知らなくては…、
また見なくては…、
何も形に出来ない。
何を参考にすべきか?
モッズはオリジナリティを大切にした。
自己の経験だけに頼ることは出来なかった。
だから、彼らは何をすべきか知っていた。
その証拠は彼らは自らモダーンズ、またはモッズと名乗ったからだ。
彼らはモッズだ、自然な装いをしていると考えてはいけない。
オリジナル・モッズと呼ぶべき最初期から66年までの世代のモッズにインスピレーションを与えたスーツ形は2つある。
1、イタリア式スタイル
… 多くの日本人が考えているモッズ・スーツのジャケット “バム・フリーザー” と紹介されるのはこのスタイル。
サイド・ベンツが採用されるのもこの形。
2、イギリス式スタイル
… 殆んど日本人には忘れられているモッズ・スーツ形、ウェステッド・スーツと言うもので、センターベントである。
他にもフランス式、アメリカ式のジャケットもある。
しかし、この場でモッズ・スーツとは何か?
と明確な答えを求めるならばジョン・ステファンに従いたい。
(※ジョン・スティーブンスと言うべきかもしれないし、違う表記が望ましいかも知れないが、ここは自分が初めて知った日本語文献にあった表記で書かせてもらう)
モッズのスーツとは伝統的なテーラーが造ってきたジャケットとスラックスで構成された同素材のモノではない。
総ては逆さまだと。
あるジャケット形とあるボトムス形を組合せしたものを同素材に仕立て、スーツと呼んだのだ。
現在のメンズ・スーツの在り方とは誕生の仕方から逆さまである。
一例をあげよう。
デニム・ジーンズの形でスラックスを作り、公園のアイスクリーム販売員の制服の形からジャケットを作った。
カジュアルなドレスという意味を作ったスーツ。
“モッズはジャケットとスラックスを構築したスーツを好んだ”
… これが『モッズ・スーツ』だ。
そして、これがモッズのオリジナリティである。
他者との違いを主張する ( = 違いは明らかだ ) 理由である。
モッズ・ファッションの英雄 ジョン・ステファンのファッションはアメリカ合衆国のアイビー・ルックやフランスのオートクチュール・ファッションから見れば、手軽で、品位がない服に見えたと言われる。
しかし、一体他に誰が、身近な労働の服をファッションの新しいパトロン ( 大衆の若者 ) 達の為にカジュアルなドレスという一級品に仕立て直したであろうか!?
ジョン・ステファンこそが若者の解放者であるのは間違いない、それどころかロンドン発のファッション革命と言わしめた理由さえ頷ける、あきらかだ。
モッズは革命だ!!
「カジュアルこそが最高のモッズ・ファッションだ」
尊敬するモッドも時代も国もこえて真のモッズの遺伝子を受け継いでいた。
例えば、君がリーヴァイスのデニム・ジーンズとリーファー・ジャケットをテーラーへ持って行き、紺色のピンストライプの生地を選び、これを案件としてスーツを仕立てるなら。
出来上がったスーツの雰囲気はカーナビー・ストリートではなく、チェルシー地域に集まるスノッブな洒落者たち、エドワーディアンの香りさえするかも知れない。
これが、君のスーツ、
革命のモッズ・スーツだ。
イタリア式、イギリス式のスーツも含め、なぜモッズはこの様なファッションの選択をしたのか?
70年代後半に活動したロック・バンドのザ・ジャムの曲を聞き、歌詞を読み、英国でオリジナル・リリースされた総てのレコード・ジャケットの表裏、メンバーのルックスなど。
もちろん、現在までのポール・ウェラーのルックスを見るのも忘れずに。
これらを資料と考えれば我々がモッズとは何かを知るチャンスになる。
何故、ポールウェラーはモッズなのか!?
何故、モッズ写真集にない格好やスタイル、髪型をしてもどうしようもなくモッズとしか感じられないと思うのか?!
ポール・ウェラーのルックスはリチャード・バーンズ著『mods!』に写るオリジナル達からの差異のルックスばかりではないし、スモール・フェイセスなどで見るオリジナル・モッズのバンドマンの姿をイメージさせるだけでもない。
それ以外が多い。
だからといって60'sにも見えない。
《 日本の60'sモッズ志向者は仲間うちではポール・ウェラーの格好を真似できない。なぜならポール・ウェラーの格好が60年代の枠に収まらないからだ 》
間違いなく、ポール・ウェラーはモッズを自然な思考の流れからは考えていない。
ゆえに俺流モッズになっていない。
《※21世紀の現在は俺流モッズもモッズ・シーンという場では合流する。
… sirFACE special ! / 「『四角い箱』と私 」 参照 》
モッズのファッションは如何なるレディ・メイドから選びだされるのだろうか。
我々ではなく、オリジナル・モッズは一体何を見て、何を知り、それらを仕分けし、その後には、どんな違いが生じていくのか?
そして何を願い、生きてスーツを着たのか。
「モッズスーツとはなにか?」終