『コカ・コーラの魅力』vol.1
日本でコカ・コーラが本格的に広まったのは東京オリンピック以降だという。
1960年代の若者達のことが語られる記事を読むと“コカ・コーラを飲む世代”とある位にコカ・コーラの存在は人の在り方を変えて見せた。
当時はコカ・コーラ以外にもミッション・コーラなど今は聞き馴染みのない沢山のコーラが売られていた。
若者がファッショナブルになる為には…、しかもよりカッコ好くなる為には、その他のコーラではなく、コカ・コーラでないと駄目だった。
コカ・コーラを飲むのがカッコ好い理由は一体何か?
1955年以降のアメリカン・アートで様々に取り上げられたコカ・コーラのボトル。
ポップアートの作家として有名なアンディ・ウォーホルの作品にも登場する。
アメリカ合衆国でポップアートと呼ばれる美術傾向が1962年に話題になる頃のロンドンにモッズは、既にいる。
ザ・フーのデビュー・アルバムのジャケットの服装を見るとイギリスのファッションは当時のアメリカン・ポップアートの影響を受けていると考えてしまう。
なぜなら、
1、ポップアートはアメリカの美術だ。
↓
2、ザ・フーはモッズのバンドだ。
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3、モッズはイギリスで最先端ファッションだ。
↓
4、イギリス国旗をジャケットにして着るなんてジャスパー・ジョーンズの旗の作品みたいだ。
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5、イギリスのファッションはアメリカのポップアートに影響されてる。
と考えがちである、こう考える前に、少し注意して、忘れないようにしたい事が幾つかある。
イギリスにはブリティッシュ・ポップアートと呼ぶべき美術傾向がアメリカ合衆国よりも前に登場していたということだ。
ザ・ビートルズの白一色のアルバム「ザ・ビートルズ」、通称「ホワイト・アルバム」のジャケット・デザインを担当した、リチャード・ハミルトンのコラージュ作品「今日の家庭をこんなに違う、こんなに魅力あるものにしたのは一体何か?」が1956年に『これが明日』展に出された。
これはイギリスで最初に作られたポップアート作品だと言われる。
1961年にはデイヴィッド・ホックニー、アレン・ジョーンズ、ピーター・ブレイクが美術の世界に登場している。
彼らはイギリスのポップ・アーティストと言われる。
しかも、今でいうポップアートがポップアートと呼ばれるきっかけはフランスの作家が関わっている。
1960年にヌーヴォー・レアリスム・グループがパリのイヴ・クラインのアパートで結成され、1962年にニューヨークでヌーヴォー・レアリスツ(=英語表記ならニュー・リアリスツ)とアメリカの作家などをあわせて『ニュー・リアリスツ』展が開かれた。
この展覧会の作品をマスコミがポップアートと呼んで以来、ポップアートという呼び名が定着したという。
ここでもう一度、ザ・フーの服装に戻る。
“ ポップアートがモッズ・ファッションに大きく関わっている”
と、現在の我々に、そう見えていないとしたら…、
見えていない人にはモッズだけでなく、ファッションもまだ始まっていない。
19世紀、絵画の印象派の時代にアートは美術の為の美術へと自立し始めなくてはならなかった。
20世紀に入ると過去に無い勢いで人々の生活と価値が代わり、それを先導するかの様に絵画は具象的な物からその本質に迫るイメージだけを描くようになった。
近代美術の世界ではイメージが物とは別に自立することになった。
1950年代半ば、イメージに再び具象的な要素が写真素材 ( = 印刷物など ) によって採り入れられた。
この部分がポップアートの具象的な要素だ。
ここで使われる写真が見せるのは日常ではないし、現実の再現でもない、メディアの中に現れたレディメイドからイメージの創出がなされている。
イメージは実物より本物になったのだ、これはイメージが実物にとって変わったということだ。
1960年代にはイメージはアートの問題だけには限られない。
大量生産をこなす消費社会のなくてはならない主人公の役割を与えられることになった。
社会のあちらこちらにイメージが潜み、我々を何時も誘惑する。
その最前線たるものがファッションだ。
大量生産された衣料品を大量に売り捌かなくてはなりたたないビジネス。
モッズのファッションにおいても仕立て服の歴史も大事だが、大量生産される既製服の販売戦略、表現方法こそ重要だ。
労働服としての既製服は実用に則して造られたとしても、違う用いられ方で有名になったものもある。
ジェームス・ディーンがはいたことで青春のアイテムになったジーンズを考えてみたい。
ジーンズは無趣味な作業着ではなく、若者達には主張ある洒落着として用いられた。
50年代に登場したアメリカ合衆国のティーン・ネイジャーはデニム・ジーンズを本来の用途から引き離すきっかけを作った。
続いて、60年代のイギリスのモッズはアメリカ合衆国から入ってきた映画やロックンロール・ミュージシャンの姿からデニム・ジーンズを用途から解放し、イメージ独自のものとして成立させた。
これはイメージを着るという事である。
( 近代絵画が物ではなく、イメージを描いた様に、イメージで現代生活を描く )
イメージが我々の現実になった。
映画『さらば青春の光』の主人公 ジミーは風呂場で濡らしたデニム・ジーンズをはいてテレビを見にリビングに来る。
濡らすと肌にピッタリして良いという。
それを見た父親は呆れて、ジミーにバカな事をするな、とさとす。
しかし、彼が目と耳を傾けるのは父親の姿や言葉ではない。
テレビから流れるザ・フーの音楽に釘付けだ。
しかも聞くのは言葉ではない、鳴り響き、ひずむギターと打ち鳴らされるドラムのリズム、それが彼の心に訴えかける。
父親は嘲笑する。
ジミーは父親の言葉を遮断するようにテレビのボリュームをどんどん上げていく。
テレビの中のザ・フーは定点カメラに捉えられたわけではなく、ギターがアップになったり、画面が音楽に合わせて上下に揺さぶられたりしている。
ジミーの体も合わせて揺れる。
《 本当なら見えないギターのアップで細部まで見え、リフのカッティングや腕をブンブン振り回すギタリストの姿、過剰なドラマーのパフォーマンスを映し出す 》
… 以上はザ・フーのテレビ画像イメージ。
ノイジーな振動が耳や眼だけでなく、ジミーの五感に訴えかける。
ザ・フーのイメージはジミーに伝わり、終いにはもうブラウン管の向こうのミュージシャンなど見ていない。
振動がジミーを包み込み、ジミーもそれに応える。
ピートのギターに合わせて弾き真似をして体を揺らし、キースのドラムのリズムに合わせて叩く真似をする。
ジミーはブラウン管の向こうに触れて感じているのだ、濡れたジーンズが肌に密着して感覚を鋭くし、電気の椅子に座ったかの様にイメージに感電している!
それを見る僕らも電気ショックをうける。
テレビはジミーと僕と我々を変えてしまった。
電気の音楽が単に音量がデカイだけではなく、床が地響きで唸り、我々の体を振動が包む、体全体が痺れる。
はじめてエレキギターの音を体感した時の衝撃には誰もが圧倒されたはずだ。
説明出来ない気持ち…。
コカ・コーラを飲む理由は、これだ。
全身を包みこむ刺激…、
痺れる!
快感!!
テレビの感覚は我々をイメージの虜にした。
テレビの中のザ・フーは現実のメンバーとは違う、様々な断片の寄せ集めでしかないが本物のイメージのザ・フーだ。
( ポップアートで特徴的なアッサンブラージュのイメージだ )
テレビを通して、我々は彼等と同じスポットライトを浴びて、楽器をかき鳴らしている。
新しい世界にゾクゾクする刺激を感じている。
ジミーは自分を見つめ支配するイメージに応えるように自らも同じ様に見えたいと望む。
何時も誰かに見られている映画スターの様に鏡を覗き込んでは自分が他人の眼に ( = 他人とは自分の眼 ) どう見えているかが気になってしようがない。
ジミーは気取って歩く、それは誰に見せる為に気取って歩くのか?
モッズ・ファッションとポップアートは共に雑誌やテレビなどのメディアのイメージに関係がある。
それゆえにモッズ・ファッションはポップアートから影響を受けているように見えてしまう。
2つが同じところから生じているからだ。
昔から教会では信仰心あつい人達が祈りの言葉を口にしながら聖母子の像や絵画に口づけをする。
ジミーの弾き真似は信仰心の現れだ。
我々も好きなアイドルのポスターをベッドルームの壁に貼り、話かけたり、キスをする。
毎日、願いの言葉をかけて。
我々はイメージと重なり合うことを望み、現実生活の自分が無意味な存在に思え、理解できなくなり、もの足りなくなった。
メディアが我々の心に与えたイメージに相応しい生活を求めて現実を見失ってしまった。
つづく。