僕の経歴パート1
こんにちは。
原宿店のマイヤです。
今回はスクロールし易い様に逆からアップしたいと思います。
昨夜は「昭和洋楽パラダイス」に遊びに来ていただいたお客様、ありがとうございます!!
昨夜のイベントでは僕もDJで参加させてもらいました!!
尊敬する先輩DJ達、大貫憲章氏、牧野雅己氏、ヒゴ・ヴィシャス氏、飯田哲司氏、稲葉達哉氏、そしてブルードレスのボス田中さんの前でかなり緊張しましたが、やり終えた後の達成感はとても気持ち良かったです。
(でも正直、いい曲はかけれましたよ)
僕はU.Kロックがとても好きなのですが、今回のブログで僕がU.Kロックを好きになったきっかけをお話ししましょう!!
さかのぼると小学4年生の頃兄の影響で日本のロックミュージシャンの布袋寅康や矢沢永吉が好きで特に布袋のツンツンに逆立った髪型を真似したり、コンサートを兄と見に行ったりとしていました!!
そしてある時兄から「布袋が影響受けたのは、ディヴット・ボウイとT-REXって言う化粧をして唄っている外国のミュージシャンなんだよ」と言われ兄からボウイの「ゴールデン・イヤーズ」やT-REXの「ゲット・イット・オン」を聞かされました。
これが僕が初めて洋楽に触れた始まりです。
最初聞いた時には英語で何を言っているか分からないし、全然激しいロックのリズムじゃなく、前奏で手拍子が入ったり音が単調だったりと僕の中では「こんなのロックじゃない」と思ったのを覚えています。
その時同級生から自作のギターをもらって演奏するうえで基礎になる、ドレミファソラシドを教えてもらったのを良く覚えています。
その同級生の周りには個性的な友達が多く、中でも一番印象的だったのはその同級生と良くつるんでいた友達で、その友達の服装がボロボロに安全ピンが付いたTシャツにタータンチェック柄のボンテージパンツ、金髪のカツラを被っている服装が一番印象に残っていました。
正に偽娘が現れました!!
その時の僕は「気持ち悪い、コイツの服装はしたくない」と常に思っていました。
高校は地元を離れて1人暮らしをしていたのですが、夏休みに帰省して地元に残っているその同級生達と再会した時に一緒にその派手な服装の友達がいて、関わりたくないと思っていたのを覚えています。
そんな周りの連中と深夜まで話し込んでその毛嫌いしていた友達と仲良くなり自宅に遊びに行って、ある一枚のCDを聞かされました。
その中に入っている、「Anarchy・in・the・u.k」が流れた時のスピーカーが壊れるくらいの大音量のギターサウンドとボーカルの歌になってないんじゃないかと言うくらいの歌唱力と「オレは無政府者」や「オレはアナーキストになりたいのさ、手下なんてゴメンだね」等の誰の指示にも従わない、反抗的で過激な歌詞に15歳の僕は今までにない大きな影響を与えられました!!
その時その友達から、「これはピストルズって言って、イギリスのパンクって言う音楽なんだよ」と教えてもらい「オレはメンバーの中で特にこのシド・ヴィシャスの服装と生き方が好きなんだ、格好良いだろう!!」と熱く!語られました。
もう僕の胸はドキドキです!!
それから次の冬休みに帰省した時にもその友達の自宅で夜通しロックについて語り合っていました。
丁度その頃に兄からいらない革ジャンがあるからやるよ」と初めてライダースJKに袖を通して、長く働いていた盛岡の四川飯店、「黄川」のバイト代で「自分もシドやジョニー・ロットンみたいになりたい!」と思い、ラバーソールを買い自作でスタッズのベルトとTシャツにスプレーやペンキをかけて着ていました。
これが僕がロックとファッションに本格的に目覚めたきっかけで、自分が好きなファッションや音楽、映画が全てイギリスだと分かり、そこからU.Kにこたわり抜いていました。
当時僕の周りはスケーターや裏原ファッションが流行でPUNKは僕1人だったのを覚えています。
(ちなみに真夏でも革ジャンを履いていました。)
服飾の専門学校に入学してもPUNK好きは止まらず、学校帰りはよく原宿の竹下にある「ジムジン」と言うPUNKショップに通って、PUNKのボンデージファッションは当時の英国の拘束から逃れるデザインだとか反戦の意味でミリタリーを着ている等の、ファッションに関する知識を深めていました。