『コカ・コーラの魅力』vol.2

刺激的なコカ・コーラを飲み続ける理由とは一体なんだろう?
「好きだから飲む」
他には理由は何もないか?
コカ・コーラを飲む世代”には説明出来ない気持ち…が関係しているはずだ。

それは1つは広報である。


アメリカ合衆国で、『広報の父』(パブリック・リレーション = PR/ピーアールの父 )と知られるエドワード・バーネイズが叔父のジグムント・フロイトの思想を基に、大衆の嗜好や考えを操作できると考え、女性喫煙キャンペーンを行い、大成功をおさめた。
1920年代後半の事だ。

心理学が広告宣伝の基礎を築いた。


広告媒体には新聞、雑誌と色々あるが、瞬時に大量の情報を広める宣伝媒体にテレビがある。

アメリカ合衆国では1951年、TVドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」がスタートした。
ドラマは当時の理想の夫婦像を提案し、特にアメリカ中の主婦達が40才のヒロイン、ルーシーを自分と重ね、共感できたことがドラマが成功した理由だと考えられている。

広告が提供するテレビドラマが視聴率を取れば、宣伝を効果的にする事が出来る。
「アイ・ラブ・ルーシー」は60%近い視聴率をとることもあった。


それでもまだ1950年代半ばまで、テレビは多くを大衆に向けて発信してはいなかった。

それは人々の生活には「理想的な家庭生活」という抽象的な目標こそあれど、何が生活を向上させるか、明確な答えが与えられていなかったと言う意味でもある。

ここから1960年代までの消費生活は年代や性差の分け隔てなく、全体的に等価で均質な状態と言える。


そこに戦後ベビーブームの影響がやってくる。


1960年代のアメリカ合衆国では人口の50%以上が25才以下になるという事態に社会ではヤングパワーが炸裂!!!!

消費生活は若者をターゲットにしたものになるしかなかった。

テレビドラマも変わる。
心穏やかな強い父親がいるファミリードラマの日々は終わり、これからの生活は誘惑的なイメージに悩まされることになる。

凶悪犯罪やヤングのセックス、S F とスマートなスパイ・アクション…などなど。

広告では具体的な商品群が啓示として示された。


コカ・コーラを楽しもう!」


消費する明確な目的も証された。

宣伝された商品は機械が作ったパキっとしたカッコ好さがあり、“生活の向上”という父の時代の今一つ形が定まらない抽象的な目標より、チープながら具体的な答えで安心感があった。

社会にもたらされた機械の恩恵 ( 資本の理屈 ) により、1960年代は豊かな生活になるに連れ、年代や性差により、日常空間は切り刻まれて、様々な価値と質の誘惑が溢れ出た。

その魅力は互いに理解出来ない層の人々には日常生活の“ノイズ ”として受け取られた。

アメリカ合衆国の芸術家 アンディ・ウォーホルのシルク・スクリーン・プリント ( 版画の技法の一つでありTシャツのプリント方法のひとつでもある。まさに同じ技法 ) の刷り上がって現れる絵柄は実にカッコいい。

万一、上手く刷れてなくても、それはそれでカッコいい。

刷り損ねた部分は“ノイズ”でしかないはずなのに…。


イギリスのロック・バンド ザ・フーがフィードバックさせる音響を聴いて貰いたい。
ロックも“ノイズ ”をきかせて、カッコいいのだ。


ポップアートはロックだ!!!!



この時代の多くの人々が“ノイズ ”を通して、自分が生活している日常空間の内部にはありとあらゆる様々な形をした「欲望の奥行き」がある事を知った。

それは壁に貼られた商業“ポスター”広告を眼にした奥行きかも知れないし。

ファッションがストリートにあふれ“街角”が発見された奥行きでもある。

スクーターが隊列をなして走る旅で見る商品を宣伝する“広告板”の奥行きでもある。


とはいえ、いつの時代でも時代に足並みがピタリと揃う人達は少数だから、一部の人に“街角”は発見されたが多くの人にとって、“街角”は昔ながらの変わらぬ道ばたのままでしかなく、そこで過ごす時間は相変わらず退屈なものだ。

これを気取った話にすり替えれば“ アンディ・ウォーホル 作の映画 (例えばロバート・インディアナがキノコを食べるやつ)”を見る時間の過ごし方と考えられる。
当時は前衛芸術慣れした人達でさえ退屈だと感じたのだ。


日常空間の中、“ノイズ ”が見せる「欲望の奥行き」ある空間の発見には地域差や個人差がある。


情報量が多い人達は“街角”や“ノイズ ”を素早く発見したようにメディアの“スター”も発見した。

映画『さらば青春の光』の主人公ジミーが見るザ・フーは寄せ集められた“イメージ ”のザ・フーであり、彼の中ではイメージのアッサンブラージュが本物のザ・フーとして生きている。

寄せ集めたイメージが生きている本物ならば現実の時空間に存在する人間の「生」は何になるのだろう?


モッズは現代の環境が歪み変化したことにより、大きく変わった生活が生んだ“コカ・コーラを飲む世代 ”である。

我々はなにかを飲むという時に、なにを飲むかを自らの意思で選んでいると信じている。

大量消費社会の生活を強いられている我々は、はたして自分の意思で選び取っているのであろうか?

我々は1920年代後半の女性喫煙キャンペーンに似た広報から、まんまと逃れ、自らの勝れたセンスにより、見事!コカ・コーラを選びとり、生活をリフレッシュさせていると言えるのだろうか?



つづく。